何も考えず生きていく人間は「駄作」である。
- 2019.03.06
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思考停止は駄作
動物の中でも人はより優れた知能を持つとされています。
そうでなければ、ここまで発展することは難しいとされていたことでしょう。
これから先はよりいっそ進化していきます。人体にマイクロチップを埋め込むといった暴挙さえします。
AIの誕生や侵略も言われており、これからの時代はより楽しく悲しい時代となることでしょう。
まだまだどれくらいの進化がやってくるのかはわかりません。
しかし、それらと無縁となっている今現在の人達。彼らは日々何かに対いて切れています。
思考するといった人である力を捨て、やみくもに切れています。
怒ることに関してはまだ良いお話なのかもしれません。それだけならば、誰しもが起こりうることなのです。
だが、世の中にはそういった人たちだけではなく、何も考えようとしないといった人がいるわけです。
人のせいにする。これがどれほどまでに無能であることを証明できることでしょうか?
何か責任を負わされそうになれば、本性がやってきます。それは、確実に自分を守る行動になります。
他者を蹴り落とし、自身が這い上がる。そうやって今はなりたっています。
別にそれが好きならばそうすればいいのです。しかし、それは同時に生きていく意味に繋がっていきます。
自身の何に対して生きるのか?の問いにそう簡単に人は答えることができません。
その考えをしなくなったが最後、なんでもよいとし、駄作人間に変り果てるのです。
やりたいことがなく、ただ仕事に行き、何かのせいにし、誰かに対して悪口を言い放つ。
人はそこで成長が止まり、それ以上何もやってくることはないです。この世に神様がいようものでも、彼らを相手にすることはしないでしょう。
悪魔がいれば、彼らを利用し、自身の遊びのために使うことでしょう。
大人になった。それだけであり、実際は子どものまま。人は、何かを失ってから初めて気が付くのですが、それでも失ったと思えなければ、また意味が変わっていきます。
なぜ?どうして?人の思考は、よくわからないものの塊でもあり、答えがやってくることはありません。
しかし、諦める行為をしなければ、おのずと扉は開かれることでしょう。知識は嘘をつきません。
以上です。ありがとうございました。
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