【日々に感謝】当たり前をさも当然のように考えるのは間違いです
- 2019.07.21
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おはようございます。結城シキです。
世の中の数ある問題の中で「当たり前の意識」があります。
こちらは、思考が麻痺していることであり、日常が当たり前のように流れている。
掃除が当たり前のようになされている。
細かな作業も当たり前のように進んでいるといったことが起因して、様々な問題が起こります。
今回はそんな「当たり前を当たり前だと思ってはいけないこと」について書き綴っていきます。
- 当たり前をさも当然のように考えるのは間違いです
- 日常はすべてが当たり前のように流れている
- 当たり前という考え方自体悪くはないことです
- 慣れと言う本当に恐ろしい考え
- 当たり前をさも当然のように考えるのは間違いですのまとめ
当たり前をさも当然のように考えるのは間違いです
日々の当たり前を当然のように考えるのはNGなのですね。
すべてにおいて誰かがしてくれているのが現状であり、それがさも当たり前の環境というのを考えているのが間違いなのです。
あの人があのようにやってくれているから今があるのだということをしっかり理解した方が何かと良いのですね。
その分日々の感謝にもつながっていくのです。
そうしなければ、人はそれが当たり前として考えるようになり、誰かがやるだろうという自分勝手になってしまいます。
代表として、当たり前を箇条で書き記してみます。
基本的にこれらが当たり前のことです。
洗濯なども踏まえて、家事そしてお金を得るための行動、それらが当然ということはかえって素晴らしいこと
このように考えれなければ、喧嘩なりが絶えなくなるのです。
特に家族などは、よく尊重し合わなければ続くことは不可能でしょう。
どちら一方が片方のことを考えれなければ、すぐさま崩壊します。
一昔前なら、亭主関白は良かったと思うのですが、今の時代はそれは逆効果です。
互いに協力関係を気づいていかなければ、生きていくことは不可能です。
仕事場でも同じように言えますね。学生業でも、趣味でも、すべてにおいてです。
日常はすべてが当たり前のように流れている
日々の日常にて、すべてが当たり前のように流れ続けています。
これは、当然の権利なのかもしれません。しかし、それらはしている人が後ろにいるからこそ成り立っていることなのです。
これを決して忘れてはいけないのですね。日本だと何かのイベント後には非常にひどいと思われるようなゴミ捨てがあります。
Twitter中で集って皆がゴミ拾いをする。もしこれが、自己顕示欲によるものや自己満足によるものだとしても、1つ片づけたことに意味があるのではないのでしょうか?
もし、ゴミ捨てをした人がゴミ拾いをしてそれを投稿する。これもあるかもしれないのですが、やらないよりかは何分良いことです。
本当に悪いことは「誰かがやるであろう」と考えている気持ちなのですね。
誰かがやるということを捨て、自分でやることが何より良いことなのです。
ただし、時間の余裕が取れないのが人です。省けることは省く精神は大事なのです。
そもそもゴミ捨てに関しては、最初から捨てないということが徹底していれば、問題は起きないのですけどね。
当たり前という考え方自体悪くはないことです
当たり前という考え自体は、何も悪いことではないのです。
効率や日々何かに追われ、何かを考えて生きていかなければいけません。
そのため、省けるところは省く思考を持たなければ先に進むことは愚か、新しいことを取り入れる
このこと自体不可能になってしまいます。自分の容量を増やすには、まずは効率化やそのものの考え自体をなくすのが最善です。
よく一人暮らしをすれば大変さがわかると話を聞きます。
実際それはすごく的を得ている考えだと思っております。
家事全般、仕事を一人でこなすことが大前提なのです。
そのため、誰かがやってくれる。これは非常に良いことなのですね。
家事全般をやっていけるのなら、仕事に注力できる。
何かいらないであろうことをカットしてく、これをすることにより、自身の容量をより増やすことが可能
本当に極端な例なのですが、料理がめんどくさければ、カップ麺という選択をします。
こういったことがよいことの一つなのですね。これはあくまで、極端すぎる例なのですけどね。
したがって、これを当たり前のようにしていく、そうすれば変な悩みもなくなっていくのです。
慣れと言う本当に恐ろしい考え
ここで少し怖いことを書き綴ります。簡単にまとめますね。
人は何かを続けているとおのずと「慣れ」が体にしみこんでしまいます。
大体慣れは良いことで考えられているケースが多いかと思われます。
一番良いことで「習慣化」になりますね。
続けることとかになりますね。本来しないようなことでも、慣れによってできるようになるのです。
最初は時間がかかりますが、だんだんと自分のものにしていけるのです。
しかし、これだけが慣れということではないのです。
悪いこともあるのです。
これまたぶっ飛んでしまうことなのですが「依存」も慣れに関することだと考えております。
そもそも慣れなければ、依存はしないでしょう。つまならなければ、捨てるのが普通です。
同時に当たり前も慣れてしまえば、結果としては最悪を招きます。
これが世の当たり前です。これを何も知らない人に語っても混乱するものです。
新卒の子に突然これが社会の常識だ!として押し付けても、意味が分からないと考えられるのと同じです。
転職した際に、それが常識ではなかった。なんていうお話はよくあるのです。
当たり前をさも当たり前として慣れていくのは、あまりよくないことなのです。
これだけは、怖いものとして考えるのが良いことかと思います。
当たり前をさも当然のように考えるのは間違いですのまとめ
今の日常がなぜ回っているのか?を軽くでもいいので、考える必要性は大事ですね。
給料払っているから、お金を払っているから、お客様は神様だ!と考えていると、確実に足元をすくわれる恐れがあります。
すべては当たり前のように流しているのです。これは非常に素晴らしいことですし、怖いことでもあります。
世間ではAI化なんて言われていますが、実際に僕たちのところに導入していくのは、先のお話なのです。
何より、自動化やロボットによる楽を追及して言っても、おのずと人間でなければいけないところがやってくるのです。
職人などがそれにあたりますね。味は一緒だろうが、受け取る方が「人が丹精込めて作った」これに価値を見出しお金を払うのです。
人とのコミュニケーションもそうです。これをAIが代替えできる未来はもっと先のお話だと考えております。
2050年や2070年を考えるよりも、今を考えるのが大事ですね。
当たり前は馬鹿にしてはいけませんよ。
以上です。ありがとうございました。
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